~The Truth~ ポール・ピアースというNBA選手の存在を知らせたい

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僕はバスケットボールのファンで毎シーズンNBAの試合を見たり、ネットで結果をチェックしている。2016-2017シーズンはゴールデンステイト・ウォリアーズが圧倒的な強さを見せつけNBAを制覇。

個人ではオスカー・ロバートソン*1以降、二度と達成する者は現れないと言われていたシーズン・トリプルダブル*2をオクラホマシティ・サンダーのガード”ラッセル・ウェストブルック”が55年ぶりに記録しMVPに輝いたことが大きな話題になった。
(平均 31.6点(得点王) 10.7リバウンド 10.4アシスト)

そんな中、1人のスター選手がNBAから去った。

 

”ポール・ピアース”と言う選手だ。

 

今回は僕が1番好きなバスケットボールプレイヤー”ポール・ピアース”について書きたい。

 

 

ポール・ピアースという選手

身長201cm、体重109kg、ポジションはSG・SF(スラムダンクで言うと三井がSGで流川がSF)

マイケル・ジョーダンやコービー・ブライアント、レブロン・ジェームズと言った名前はバスケットボールに興味がない人でも聞いたことがあると思う。それに比べてピアースの知名度は高いとは言えない。

身体能力が特別優れている訳ではなく、ハイライトに残るようなプレーをすることも少ないのがその理由だろう。

しかし、駆け引きの旨さ、精度の高いショットに加えてポストでのプレーをこなせる身体の強さを持ち合わせたオールラウンダーで身体能力に頼らないプレースタイルから”The Truth"というニックネーム*3の愛称を持つ選手だ。

 

大嫌いな球団からスタートしたキャリア

ピアースのキャリアのスタートは順風満帆と言えるものでは無かった。カンザス大学のスター選手としてドラフトでは上位指名確実とされていたが、蓋を開けてみると10位指名という事前の評価からするとかなり遅い指名となった。

その理由としてはドラフト前の評価に気分を良くしたピアースのちょっと生意気な発言に原因があったとも言われているが、問題は順位より指名した球団だった。

リーグ最多の優勝回数(17回)を誇る名門球団、ボストン・セルティックスからの指名。NBAでのプレーと言う夢が叶ったのにもかかわらずピアースの顔は引きつっているように見える。

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これはピアースの生い立ちに理由がある。彼の出身はロサンゼルスのイングルウッドだ。イングルウッドにはロサンゼルス・レイカーズの本拠地であるフォーラムがあり*4マジック・ジョンソン時代のレイカーズを見てピアースは育っている。

レイカーズのライバルと言えばラリー・バード率いるボストン・セルティックス。つまりピアースにとって少年時代に憧れていた球団の憎き敵に指名されたということになる。

日本で言ったら東京で生まれ育った巨人の大ファンが阪神に指名されるようなものだろうか?

そんな事情を知っているボストンのファンは彼はいつトレードに出されるんだい?とピアースを認めることは無かった。それでもピアースはプレーに集中し、オールルーキ1stチーム*5に選出。ボストンのファンからの信頼を勝ち取る。

 

ナイトクラブでの刺傷事件

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デビューから3年目のシーズン開幕を前にしてロサンゼルスのナイトクラブで事件は起こった。

喧嘩の仲裁に入ったピアースは暴漢に襲われ瓶で顔面を殴られ、ナイフで顔、首、背中など11ヶ所を刺され、一緒にいたチームメイトが救急車を待たずに車の後部座席に血まみれのピアースを寝かせ近くの病院に搬送し、ピアースは一命を取りとめている。

そんな瀕死の重傷から3日後には退院し、1ヶ月後の開幕戦に間に合わせ、82試合全てに出場し、周囲を驚かせた。このシーズン、ピアースはチームトップの平均25.3得点をあげNBAのトップスコアラーの仲間入りを果たしボストンはピアースのチームとなった。

 

カンファレンスファイナル進出から泥沼へ

ボストンのエースとして相棒のアントワン・ウォーカーとの2枚看板で2002年には東カンファレンスの決勝に進出。

それ以降チームは勝てなくなりピアースのトレードは何度も噂された。実際に本人もチームが再建に入るなら最初に出されるのは自分だと覚悟もしていた。しかし、チームが出した答えは別のものだった…

 

BIG3結成~NBA制覇

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2006-2007シーズンのセルティックスは東カンファレンスで最下位の成績でチーム記録の20連敗を記録するなど、どん底にあった。チーム解体と思われたオフにセルティックスは大きなトレード を敢行、リーグ屈指のビッグマンであるケビン・ガーネット(写真真ん中)とシューターのレイ・アレン(写真右)を獲得。

ピアースを含めたBIG3を結成し一躍、優勝候補となる。この3人の共通点はそれぞれがリーグ屈指の選手でありながらチームに恵まれない状況にあったということに加えて、過去にカンファレンス決勝まで進出して敗退しているところも一緒。

それぞれのチームでエースだった3人がボールをシェアできるのか?と疑問を呈する識者もいたが、協調性ある3人はそれぞれの役割をこなし、結成初年度からリーグ最高の成績でプレーオフに進出、ファイナルでコービー・ブライアント率いるロサンゼルス・レイカーズと対戦。ボストンの4勝2敗でついにNBAを制覇しMVPにはピアースが選ばれた。

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ファイナルMVPトロフィーを受取り喜びを爆発させるピアース

ファイナルの相手が幼少期からのファンだったレイカーズだったことは何かの運命だろうか、その後は2010年にファイナルに進出するもレイカーズに4勝3敗で惜敗。以降は加齢による衰えもあり、ライバルであるレブロン・ジェームズ率いるマイアミ・ヒートに勝てずにチームとしての限界を感じることも多くなり、BIG3時代は終焉へと向かう。

 

BIG3解体~移籍~引退

2012年のオフにレイ・アレンがマイアミ・ヒートに移籍、一時代を築いたボストンのBIG3はついに解体される。

前年にプレーオフで負けたライバルチームへの移籍にはボストンのファンや選手から批判もあったが、何度かトレード要員として利用された(と本人は言っている)ことや、チームメイトの若手PGレイジョン・ロンドとの確執なども理由の1つだったと言われている。

その翌年のオフ、ついにボストンは再建へ入る。ケビン・ガーネットと共にチームの生え抜きであるピアースをブルックリン・ネッツへとトレードで放出。15年間プレーしたボストンに別れを告げる。

その後はワシントン・ウィザーズ、ロサンゼルス・クリッパーズでプレーし、全盛期の輝きは失われていたものの要所での勝負強さでチームに貢献。そして昨シーズンのプレーオフでユタ・ジャズに敗退し19年に渡る選手生活にピリオドを打った。

 

 

クラッチ・プレイヤーとしてのピアース

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クラッチプレイヤーというのは試合を決めるようなここ1番の場面に強い選手のことを指す。

ピアースはリーグ屈指のクラッチプレイヤーだ。精神的にタフでプレッシャーのかかる場面でこそ真価を発揮する。僕の中で印象に残っているショットをいくつか動画で紹介したい。

 

ウィザーズ時代のプレイオフ東カンファレンス準決勝。1勝1敗で迎えた第3戦、同点で残り5秒。チームはピアースにラストショットを託す。3人のディフェンスのチェックの中、ステップバックからのジャンパーをブザーと同時にヒット。

試合後、レポータからバンクショットは狙っていたの?という意地悪な質問に「勝利を狙ったんだ」とクールな切り返しも流石。

 

同じくウィザーズでのカンファレンス準決勝。3勝2敗と崖っぷちのウィザーズが3点差のビハインドで迎えた残り6秒。3ポイントを決めれば同点で延長という場面でエースのジョン・ウォールにボールを託すもマークが厳しくボールはピアースへと渡る。

相手ディフェンスをステップでかわして打った3ポイントはリムに吸い込まれ、同点で延長かと思われたが、ビデオ判定でコンマ数秒の差でピアースの指先にボールが残っていると言う判定でノーカウント。

結局チームは敗退しピアースのウィザーズでの最後のショットは幻となってしまったがその勝負強さは印象に残った。

 

最後は2010年のプレイオフファーストラウンド。同点で迎えた残り12秒、セルティックスはピアースの1ON1を選択。トップでドリブルで一呼吸おいてからドライブし、ステップバックからのジャンパーをブザーと同時にヒット。

時間の使いかた、ディフェンスとの間合いの取り方などピアースの技術と精神力の強さが生んだ1発。

 

この他にも紹介しきれない程のクラッチシュートを決めている。

 

ボストンと1日契約を結び引退

昨シーズン、クリッパーズの選手としてラストシーズンを終えたピアースだが、僕も含めて多くのファンがピアースにはセルティックスとして引退して欲しかったと思っていた。

そんな声に応えてボストンはピアースと1日契約を結びピアースは最後はセルティックスの選手として引退することになった。

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練習場の用具係がいつピアースが戻っても良いようにと彼のシューズをロッカーに用意していたらしくピアースはそれを履いて最後の練習に臨んだようだ。

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チームが勝てない時期から懸命に支え続け、ファンに愛され、幼い頃から嫌っていたグリーンのユニフォームが最高に似合う選手としてコートに別れを告げることになった。やはりボストンがピアースのホームだ。

 

移籍後最初にTDガーデンに帰って来た試合でのハーフタイムに流れたビデオ。ピアースがボストンのファンに愛されているのがわかる。 

 

間違いなくTDガーデン*6の天井にはピアースの背番号である34番が刻まれるだろう。(永久欠番)

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もうセルティックスの選手としてプレーすることが無いのは寂しいのだけれど、最後にもう一度、セルティックスとしてのピアースを見ることができて本当に良かった。 

*1:1960年台~1970年台の前半まで活躍した伝説のNBA選手。

*2:得点、リバウンド、アシスト、ブロック、スティールの5項目の内、3項目で2桁を記録することで多くは得点、リバウンド、アシストの3項目で達成される。
シーズン・トリプルダブルはレギュラーシーズンの平均でトリプルダブルを達成すること

*3:名付け親は伝説的センタープレイヤーのシャキール・オニール)

*4:1999年にロサンゼルス市内にステイプルズ・センターが完成するまで

*5:そのシーズンの優秀な新人をコーチの投票(自チームは除く)で選出し、上位5人が1stチームに入れる

*6:セルティックスの本拠地