エアジョーダン歴代モデルをマイケルジョーダンのキャリアと共に紹介(シカゴ・ブルズ編)

AIR JORDAN 1 MID

バスケットボールをプレーしている人ならもちろん、興味がない人でも『マイケルジョーダン』の名前を知っていると思います。ぼくも学生時代からバスケットボールをプレーしていて憧れの選手でした。練習試合用のユニフォームは好きな番号をつけることができたのでジョーダンの背番号『23』の取り合いでケンカ…とはならず恐れ多くて他の番号を選ぶ人が多かったと記憶しています。

 それほどマイケルジョーダンという選手はバスケットボールをプレーする人にとって特別な存在で、引退して10年以上たった今でもそれは変わりません。それは現役のNBA選手も同じで、多くの選手がジョーダンに憧れています。

 そんなジョーダンと言えば『エア・ジョーダン』

脚を大きく広げてワンハンドダンクをするロゴを多くの人が見たことがあると思います。

現在では多くの選手が自らの名を冠したシグネイチャーモデルを販売していますが、この先駆けと言えるのがエア・ジョーダンで、バスケットボールシューズという枠を超えて、コレクターズ・アイテムやファッションアイテムとして購入している人も多いです。

そんなエア・ジョーダンの歴史をこれまで発売された全モデルをジョーダンのキャリアを振り返りながら紹介していきたいと思います。

エア・ジョーダン 1 AIR JORDAN Ⅰ

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画像引用元:http://www.kicksonfire.com/what-are-air-jordans/air-jordan-1-i/air-jordan-1-i-black-varsity-red/

 

1984年、シカゴ・ブルズにドラフト3位で指名されたジョーダンにNIKEは日本円で年間5000万円の5年契約という当時にしては破格のオファーを提示。この時の条件が3年以内に「新人王獲得」「シーズン平均20得点以上」「オールスター出場」のいずれかを達成するというものでした。シーズン20得点以上と言うのはNBAの中でも一流のスコアラーの目安となる数字です。

その全てをジョーダンはルーキーシーズンに達成しスター選手の仲間入りを果たし、シューズの売上は販売後3ヶ月で70億円を売り上げることになります。

 このシューズの有名なエピソードとして黒赤のカラーがユニフォームにそぐわないことを理由にNBAから着用を禁止され、履いて試合に出た場合、1試合約50万円の罰金が課せられることになりました。(罰金はナイキが肩代わり)

そんな着用禁止ルールを逆手に取った「NBAはエア・ジョーダンを禁止したが、君たちが履くことを禁止には出来ない」というCMは有名です。

 

 

 

 

エア・ジョーダン2 AIR JORDAN Ⅱ

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画像引用元:https://www.flightclub.com/air-jordans/air-jordan-2

 

エア・ジョーダン2作目はジョーダン3年目のシーズンとなる1987年に発売。ジョーダンシリーズで唯一のイタリア製のモデルで、ナイキの象徴とも言えるスウッシュロゴが無くなったのが特徴。

このシーズンでジョーダンはNBA歴代2位の記録となるシーズン平均37.1得点(1位はウィルト・チェンバレンという伝説的選手の平均50.4得点!)で初の得点王に輝く。

以後1度目の引退まで7年連続、キャリア通算10回の得点王を獲得。(NBA歴代1位)

 

 

エア・ジョーダン 3 AIR JORDAN Ⅲ

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 画像引用元:NIKE AIR JORDAN 3 RETRO : JNKsystem.com

 

1988年発売。このモデルからエア・ジョーダンシリーズの象徴とも言えるジャンプマンロゴがシュータンに搭載されます。

ジョーダン自身はシーズン得点王となり、オールNBA1stチームにも選出され充実のシーズンを送りますが、プレーオフでは当時バッドボーイズと呼ばれ、フィジカルなディフェンスが売りのデトロイト・ピストンズの『ジョーダン・ルール』と呼ばれるジョーダンに対して複数人でハードなディフェンスで潰すという作戦に苦しめられ敗退。以降ジョーダンとブルズはピストンズに苦しめられる事になります。

 

 

エア・ジョーダン 4 AIR JORDAN Ⅳ

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画像引用元:http://sneakernews.com/tag/air-jordan-4-teal/

 

1989年発売。シュータン(ベロ)の部分に「FLIGHT」の文字が刻印されていますが、これは2と3の売れ行きがイマイチでナイキの「エア・フライト」シリーズにエア・ジョーダンを組み込んで販売する予定があったと言う理由からです。

しかし、エア・ジョーダン4の先進的なデザインが受け入れられエア・ジョーダンは単独ブランドとして発売されることになります。

 

しかし、ジョーダン率いるシカゴ・ブルズはこのシーズンもプレーオフでピストンズに敗退。個人としての成績は申し分ないがチームを勝たせることが出来ないという批判もありました。

 

 

エア・ジョーダン 5 AIR JORDAN Ⅴ

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画像引用元:http://justfreshkicks.com/nike-restock-today-list-of-shoes-w-links/

 

1990年発売。エア・ジョーダン人気を世界規模のものにしたといえるモデルがこのエア・ジョーダン5です。

あまりの人気にこのシューズを巡って殺人事件が起きるなど社会現象になることになります。このモデルでジョーダンブランドの地位は揺らぐことのないものとなったと言えるでしょう。

このシーズン、ブルズはダグ・コリンズヘッドコーチを解任し後にNBAの歴史に残るコーチとなるフィル・ジャクソンをアシスタント・コーチからヘッドコーチに昇格、ジョーダン最高の相棒となるピッペンを筆頭に若手の成長もありチームとしても充実したシーズンをおくりますがプレーオフではまたもピストンズに3勝4敗と惜敗…

ジョーダンとブルズは3年連続でピストンズという高い壁に優勝への道を阻まれます。

 

 

エア・ジョーダン 6 AIR JORDAN Ⅵ

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画像引用元:https://www.kicksonfire.com/air-jordan-6-alternate-new-images/

 

こうして並べてみると4から6までのモデルはデザインがあまり変わっていないように見えます。

これは推測ですが、4以降の売れ行きが好調だったことから大きな変更はしづらかった(必要無かった?)のではないかと思っています。因みに人気バスケットボール漫画『スラムダンク』の桜木花道が最初に購入したバッシュです。(30円)

 このシーズンのブルズはチーム史上最高となる61勝でイースタン・カンファレンスの決勝で4年連続となるデトロイト・ピストンズとの対戦を4連勝で雪辱を果たし、ついにNBAファイナルに進出することになります。

ファイナルの相手は80年台のNBAを引っ張ってきたスーパースター、マジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズとの対戦。

初戦こそ落としてしまいますが、その後は4連勝でNBAを制覇し、ジョーダンはファイナルMVPを獲得、マジック・ジョンソンとラリー・バードからNBAはジョーダンの時代へと移り変わりました。

 

 

エア・ジョーダン7 AIR JORDAN Ⅶ

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画像引用元:https://www.flightclub.com/air-jordan-7-retro-black-chambray-lt-graphite-010367

 

1992年発売。このモデルからビジブルエアが廃止されソール内に密封され、デザインやカラーリングもこれまでのモデルと比べポップになっています。

このシーズン、NBAファイナルでジョーダンのライバルと言われたクライド・ドレクスラーと市場屈指のセンタープレイヤー、アキーム・オラジュワン率いるポートランド・トレイルブレイザーズを相手に4勝2敗で勝利し、2年連続でNBAを制します。

この年はバルセロナオリンピックに伝説と言われる『初代ドリームチーム』の一員として参加しており、オリンピック限定のモデルも登場しました。

 

 

エア・ジョーダン8 AIR JORDAN Ⅷ

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画像引用元:http://www.jordan-2012s.com/air-jordan-8

1993年発売。このシーズンは3連覇をかけたNBAファイナルで親友でもあるチャールズ・バークレー率いるフェニックス・サンズとの対戦。

レギュラーシーズンの勝ち星で上回るサンズがホームコートアドバンテージを持っていましたが、第6戦に敵地でブルズが勝利しジョーダンにとって最初のスリーピート(3連覇)を達成することになります。

しかし、このシーズンのオフにジョーダンは引退を表明。選手として全盛期での引退に世界中が衝撃を受けます。

モチベーションの低下やマスコミからのバッシングも理由の1つと囁かれましたが、父が殺害されたことが最も大きな理由と考えられています。

 

 

エア・ジョーダン9 AIR JORDAN Ⅸ

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画像引用元:http://www.waterparkexperts.com/air-jordan-9-retro-9-302370-016.html

1993年秋に発売。バスケットボールから引退したジョーダンは野球に転身。メージャーリーグデビューを目指してマイナーリーグでプレーする時にはこのモデルの野球用スパイクを着用していました。

デザインの面でもこれまでの新しい機能を全面に出したものから落ち着きのあるものにシフトし、デザイン面での1つの転機となりました。

そしてこのモデルからNBAの各選手が所属するチームカラーの特注モデルを使用するようになりました。現在、多くの選手がジョーダンブランドからシグネイチャーモデルを発売していますが、その始まりとも言えるかもしれません。

 

 

エア・ジョーダン10 AIR JORDAN Ⅹ

「エア・ジョーダン10」の画像検索結果

1994年発売。ソールにこれまでのジョーダンの功績が刻まれているのが特徴でその最後には『BEYOND』の文字が刻まれています。

過去の功績を文字通り超えるべく翌年にジョーダンはNBAのコートに戻ってきます。

 

 

エア・ジョーダン11 AIR JORDAN Ⅺ

 

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画像引用元:air jordan 11 retro (gs) "concord 2011 release" - Air Jordans | Flight Club

1995年発売。「フォーマルなシューズが欲しい」というジョーダンのリクエストに答えてバッシュでは珍しいエナメル素材を使用。言われてみると新人だった頃のジョーダンは金のネックレスをジャラジャラとさせた成金スタイルでしたが、年齢を重ねると共にフォーマルなスタイルを好むようになりました。

このデザインがストリートで受けて人気のモデルとなり、復刻版の発売時にはケンカによる逮捕者も出たよです…

そういったジョーダン自身の好みの変化がジョーダンシリーズを並べてみると見えてきて面白いです。

復帰後ののシーズンはプレーオフでペニー・ハーダウェイ&シャキール・オニール率いるオーランド・マジックに敗退。ジョーダン自身のミスが敗因となるゲームもありました。

翌年の95-96シーズンは宿敵とも言えるデニス・ロッドマンを獲得。ピストンズ時代からの因縁もあり、チームの空中分解も囁かれましたがロッドマンは見事にチームにマッチし、当時のシーズン最多勝利数である72勝10敗でシーズンを終えプレーオフではファイナルでソニックスを圧倒し優勝。プレースタイルの変化はありましたが、ジョーダンの完全復活をファンは確信します。

 

 

エア・ジョーダン12 AIR JORDAN Ⅻ

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画像引用元:【楽天市場】【中古】【送料無料】NIKE AIR JORDAN 12 RETRO TAXI 白×黒 130690-125 ナイキ エアジョーダン 12 レトロ タクシー:SOLE ADDICT

1996年秋に発売。このモデルは旭日旗をイメージしたジョーダンシリーズでも屈指のシンプルさでバスケットボールシューズとしての機能をストイックに追い求めたモデルと言えます。

96-97シーズンのファイナルでは史上屈指の名コンビ、ジョン・ストックトン&カール・マローンのユタ・ジャズとの対戦。第5戦ではジョーダンが体調不良のなか38点を記録するパフォーマンスはジョーダンの歴史の中でも有名です。

その試合の最後は相棒のスコッティ・ピッペンに寄りかかりながらコートを後にします。

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画像引用元:【人気の17】 「ジョーダン」のアイデア探し - Pinterest | ジョーダンスニーカー と ナイキのエアジョーダン

 

エア・ジョーダン13 AIR JORDAN XⅢ

 

関連画像

画像引用元:nike zoom orange kyrie irving - Fushoes

1997年発売。このシーズンのブルズはジョーダンの相棒であるスコッティ・ピッペンとチームのフロントとの確執、コーチのフィル・ジャクソンはシーズン終了後の退任を仄めかし、強いブルズを見られるのも最後かということから『ラストダンス』と言われました。2度めのスリーピート(3連覇)がかかったシーズンということもあり多くの注目を集めます。

 

そして迎えたNBAファイナル、前年と同じくユタ・ジャズとの対戦となります。

3勝2敗とリードして迎えたソルトレイクシティでの第6戦。相棒のスコッティ・ピッペンは腰痛が悪化し、試合中もかなり苦しそうでソルトレイクシティでの第7戦にもつれ込めば相手のホームと言うこともあり非常に厳しい展開になることが予想されこの6戦で優勝を決める必要がありました。

 

一進一退の攻防が続き81対83のユタが2点のリードで迎えた最後の1分、NBAの歴史で最も劇的な1分が始まります…

まず、ジョーダンのフリースローで83対83の同点。

しかし、その後のユタのオフェンスでカール・マローンからのパスを受け取ったストックトンが値千金の3ポイントをヒット。42秒を残して83対86でユタがリード。

タイムアウト後のオフェンスでジョーダンは時間を使わずにレイアップを決めて85対86。ユタ1点リードで残り37秒。

ユタのオフェンス、ローポストでカール・マローンがパスを受け取りロッドマンとの1対1か?と思った瞬間にジョーダンは自身のマークマンを離れマローンの背後からボールをスティール!

残り20秒で1点ビハインドの場面でジョーダンはタイムアウトを取らずにラッセルとの1対1から残り5.2秒で逆転のジャンプシュートを成功。

そのまま1点差でブルズが勝利、ジョーダン自身2度目のスリーピートを達成、自らの手で『ラストダンス』を締めくくります。

そしてシーズンオフにはジャクソンヘッドコーチは退任、スコッティ・ピッペンはチームを去り、ジョーダンは引退を表明。完璧な形でシカゴ・ブルズでのキャリアを終えます。

この最後のシュートは『ラストショット』と呼ばれNBAの歴史で最も偉大なシュートと言われます。打った後に成功を確信したようなフォロースルーと絶望の表情でボールの行方を見守るユタファンを収めた写真は有名です。

「ラストショット」の画像検索結果

 

 

エア・ジョーダン14 AIR JORDAN XⅣ

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画像引用元:ナイキ エアジョーダン 14 - ブラックトゥ

1998年発売。ジョーダン引退後に販売されたモデルですが、ジョーダン自身は98年のファイナル第6戦で着用しています。

98年のファイナル第6戦と言うと上で紹介した『ラストショット』の試合です。つまりこのジョーダン14はブルズ時代に1試合しか履いていません。そしてその試合が伝説のゲームとなる…こういったストーリがシューズにもあるんです…

 

 

以上がジョーダンがデビューからシカゴ・ブルズ時代に着用したエア・ジョーダン全モデルとなります。

以降のモデルも別の記事で紹介したいと思います。